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ビーパップハイヒール(3回目?) [日記]

「淀川を知れば大阪が分かる」
奈良大学 三木理史準教授
リンゴ姉さん曰く 「先生タージンに似てる」
縄文時代大阪はほとんどが沼地で上町台地だけが
突き出ている何もない所でした
いくつもの河川が砂や土砂を運んで少しづつ土地が大きくなっていった
最初に大阪に目を付けたのは織田信長である
広い世界観をもっていた信長は宣教師のフロイスから
「港に城を構え貿易を盛んにする」考えに心動かされます
地理的に一番近い港候補が大阪でした
しかし沼地が大きく城を構えるには埋め立てが必至です
一大プロジェクトを押しすすめ
1580年初代大阪城を立てます
しかし1582年信長本能寺にて討たれます
翌年豊臣秀吉が城を改築・堀を作り湿地帯を開拓します
これが今の大阪城の元です
上町台地は今も大阪の中で一番高い平地と云われています
淀川も大和川も氾濫がひどく住民は困っていました
大和川は北に登っていたのですが
これをまっすぐ大阪湾へ付け替えました
ですから新大和川が正式名称です
船で安治川へ川口から堀へと大阪市内への荷物運搬が出来ました
しかしこの安治川も改修されています
この時掘って余った土で何ができたでしょう?
日本一低い山 天保山です
そして淀川の改修問題です
これに尽力したのが大橋房太郎です
明治18年大阪沈没が起こり
200万以上の人が災害を被りました
大橋房太郎は何度も明治政府にかけあいますが
相手にされません
オランダ人のデレケから川の付け替え案を指摘してもらい
ようやく明治政府の国家プロジェクトとして
淀川の付け替え工事が決まります
しかし 土地を離れることに不安を感じた人々が反対運動を!
145㎝の小柄な大橋は頭を下げ人々を納得させます
明治43年新淀川完成
ここに真っ直ぐな川が誕生したのです
現在 大阪川の環状線一周ツアーがあります
 堂島川から西へ→天満から水門を抜け南へ東横堀川を下ります
 道頓堀川から→木津川→安治川(大阪中央卸売市場)→堂島川へ
約2時間ほどのツアーです
水の都・八百八橋と謳われた大阪
淀川も大和川も人工だったんですね
そこにあるものは自然だと思っていましたが
昔の人々の苦労の賜物だったのですね
感謝です
時々 こんな凄いテーマを扱う番組なんですね
勉強になります
先人たちが残したものを
後世の人に残すのが今の私たちがなすべきことなんでしょうね
未来の子供たちへ素晴らしい地球を!
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